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GKC: GILBERT KEITH CHESTERTON ギルバート キース チェスタトン(1874-1936) イギリスのジャーナリスト、作家、思想家。日本ではブラウン神父探偵譚の作者として有名。
ILN: ILLUSTRATED LONDON NEWS イラストレイテッドロンドンニュース イギリスの新聞

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地下経済

いま地中海の小さな島に滞在しています。

これが南欧の「地下経済」か、と思われる実態の一部を垣間見る機会がありました。詳しくはお知らせできませんが、もし、そうならば、「地下経済」とは決して悪いものではなくてむしろ歓迎すべきもののように思えます。関わる人々の常識とfairnessと自己責任の感覚が問われる世界です。
もちろん、ひと口に「地下経済」と云ってもさまざまなパターンがあって、なかにはあまり感心しないものもあるのでしようけれど、それでも、「自由」を大切にするなら、仕方ないことなのかも・・・



テーマ : このままで、いいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

タグ : 地下経済 自己責任

ひそかな進行

AIJの件、派手にとりあげられるのは、HSBCの個人向けサービスが当局にとって不都合なので追い出したかったからでは?
事実、あわてて年内撤退、ということになったみたい。なんか「ほうほうの態」って感じじゃないですか。
撤退せざるをえぬように仕向けられたのでは?

わたしの直感、間違っているかもしれませんが・・・

HSBCにしてみれば痛くもない腹を探られたくないだろうし。

例によって、相手の弱みにつけこむ手法はヤクザ顔負け。

さすがのHSBCも日本の当局にはかなわない(?)


この国はほんとうに恐しい。

もちろん、捜査なんかする気はないだろうし、捜査したところでわからない。

脅しだけ。


掠奪、とはいえ、 もっと密かな凄まじい掠奪の構造がある・・・。




― 電子書籍出版に国が150 億出資 ―
これも恐い!











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タグ : AIJ HSBC 掠奪 統制

マスメディアの役割

唐突ですみませんが・・・
別の拙ブログからの転載です。(既読の方には申し訳ございません。)

2011年5月 18日
NHK番組「虐待カウンセリング、柳美里・・・・」
単なる野次馬根性から視聴したのだけれど、彼女(柳美里)の気性を再確認した感じ。
それにしても、さしたる才能があるわけでもなく、単に自分のプライバシーを売り物にしている作家に「文学賞」という権威を付与してメディアで持て囃したり、騒ぎ立てたり・・・、これって、何か意図があるんじゃない?
その「何か」が何なのか・・・



*ただいま管理人は、理由あって前回エントリの続きを訳出するヒマがございません。
落ち着きましたらまた訳出していきたいと思っておりますので、どうか、よろしくお願いいたします。

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タグ : 虐待 カウンセリング NHK メディア 文学賞 柳美里

非生産的ローンによる資本主義の発達と集中的コントロール

前々回エントリのつづき

高利貸しは、それ自体が不道徳であり、当然、すべての倫理規範によって罪として非難される。しかし、とりわけ我々がこれから検証するケースの最悪の欠陥(資本主義の発達と無産者の増大)は、人々の生活が無責任にしかも集中的にコントロールされることにある。無産者は、通貨と信用のローンなしには衣食することも仕事を維持継続することもできない。したがつて、彼らに対する影響力が通貨と信用を管理する少数者の掌中に握られることになる。

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タグ : 高利貸し 無産者 道徳 倫理 資本主義 日銀

マネーの役割

前回エントリで、通貨について自明のこととして省略した部分がございますが、一応、以下に訳出しておきます。

 通貨の本来の目的は、多種多様な商品の交換を促進することにある。
私が自分で消費する量以上に生産した余分な小麦を所有し、隣人が自ら消費する量以上に生産した余分な干し草を所有しているとする。彼と私に接触があれば、干し草と小麦を交換するのは自然であろう。そうするのがお互いに利益になるからだ。
そこで、第三の者を想定してみよう。彼は、自ら消費する量以上のジャガイモを生産したが、干し草が目標に足りない。
第四の者は、食用の家畜が余分にあるから小麦と交換する。
第五の者は職人で、彼は他人のために衣類や靴を製造して他の必需品と交換する。
ここに、単純な物々交換ではなく、多種多様な交換の条件が発生する。
干し草を所有する者は靴を製造する者と接触がなく、どちらもジャガイモを余分に所有する者と接触がない。
様々な余剰分が生産者と買い手の必要に応じて交換され、配分されるには彼らの間に流通する共通の媒介物がなくてはならない。
それが、マネー(お金)の本来の役割、信用の方便たるマネーの役割である。そうして、多種多様な交換取引が可能になる。

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タグ : マネー 通貨 物々交換 信用

共同体から強奪するシステム

ー 高利貸しは、単なるマネーのローン(あるいはさらに悪いのが、単に信用の方便にすぎないマネーの貸借の約束)について、そのマネーが健全に投資されるかどうか、生産に資するかどうか、に拘らず利息を徴収する。
高利貸しは、いわば、マネーのローンについてそれがマネーであるという理由だけで割り増しを徴収する、あるいは、さらに悪いことに、信用の方便の割り増しを徴収する。
単なるマネーに利益ではなく利子を付けるのが罪として非難される理由は二つある。第一に、交換のための媒介物として流通すべきその本来の機能を保留されていた通貨を放出する代償としてその社会に対して貢租を要求するからである。
第二に、あるかもしれないし、ないかもしれない利益について、配当の支払い請求を用意するからだ。
第一の悪の例として、通貨の供給が少数の買い手と売り手、あるいは極端なケースとしてたった一つのコントローラー(多くは小さな町の銀行など)に掌握されているマーケットについて考えてみよう。
通貨を掌握する独占者が通貨本来の目的どおりに使用されるのを許可しなければ、物々交換以外はマーケットでの取引は行われない。
媒介物にすぎない通貨について、独占者がその使用に対し代償を要求して普通の流通を抑制するのは、本来増加しない(つまり何も生み出さない)何かに増加を要求していることになる。彼らが貸したもの自体は何も余剰を生まない、にも拘らず余剰を要求する。彼らは、交換のための媒介物である通貨のノーマルな役割を拒絶することによって、その共同体にホールドアップをしかけているのである。
以上は、単なるマネーに利子を付けることに付随する第一の悪である。第二の悪は複雑な現代においてとりわけ重大である。高利貸しの悪は非生産的なローンから追加額を徴収することにある。これは明らかなインモラルだ。
・・・・ 
例えば、(第一次)大戦の交戦国で発行された戦争国債はほとんどが富を生まないローンで、利子付きである。そのマネーは、生産能力を高めるためではなく、潜在する富を実際の富に変えるためでもなく、殺し合いを業とする人々の衣食と賃金の支払い、そして軍備のために費消された。そのような骨折りの後にのこったのは莫大な借金であり、絶えず莫大な年利を請求される羽目になった。しかも、相応の増加額を齎す富はなにも生み出されなかった。ー
by UNKNOWN(20世紀前半の英国人)



次回へつづく

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テーマ : 経済 - ジャンル : 政治・経済

タグ : 高利貸し 配当 利子 利息 ホールドアップ 戦争国債

高率課税による 中間層の衰弱と文明の破滅

「 高率の課税と、私有財産を広く行き渡らせることとは、両立しない。一方は一方を破壊する。
財産が広くゆき渡っているところでは、大きな課税に対する抵抗が非常に激しくて有効であるから、大課税は成立しえない。
私有財産を十分に分散させようと悪戦苦闘しているところで税率を高くすれば、苦闘の成果はだいなしになる。・・・

高率の課税は十分にゆき渡った私有財産にとって敵である。
私有財産が十分にゆき渡っていなければ、それだけ、高い税率で有効に徴収することが可能になる。また、高率課税作戦は、財産が分散する過程を破壊するために実施される。・・・
すでに高率課税が永く続いている社会に真の私有財産制度を復活させようとするならば、思いきった課税ルールの改変なしには努力が無駄になる。

高率課税の影響が最悪になるのは、小財産がスタートする時ではなく、かなりの規模に達した蓄財、ないしは、いわゆる「標準的ミドルクラス」に課税される時に最悪となる。
しかし、国家の中の私有財産を維持し、創出するためには、ミドルクラスを維持し、創出することがとりわけ重要なのである。・・・

真の私有財産制度の理想は財産の平等ではない。そのような機械的な理想論と財産の人格的な性質とは相容れない。多種多様なのは複雑な人間社会の現実に合っている。
悪いのは、賃金奴隷つまり無産層が社会の性格を決めて、本当の生産や倹約、個人の努力など、働く意欲や市民精神が意気阻喪させられることである。・・・

高い税率によってミドルクラスが衰弱すると、私有財産は無防備になる。あたりまえに財産を所有し、その耕作と余暇をベースに自分を表明できるから、自由に意見し、要求するのである。
かつてミドルクラスが衰退、あるいは破壊された時、財産はごく小規模なのが広くゆきわたっていたが、中間層が欠けていたために、巨大財閥や支配層の意のままになった。それはまさに、古代ローマの文明が破滅する過程で起ったことだった。」 by UNKNOWN(二十世紀前半の英国人)

ここでいう「ミドルクラス」ないし「中間層」は、もちろん、日本でいう「中間層」とか「中流」等とはやや異なります。
重要な要素は、所得の多寡ではなく、むしろ所有財産と意識レベルです。



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高利貸しの本質と経済危機

前回の抜粋のつづきです。

貸し出されるのがパンのような現物か、それともそれを購入するための金銭か、ということは問題ではない。基準は生産的かどうかということに懸っている。
目的が生産的でないのを貸し手が承知しながら利息を課すのは、高利貸しを意図しているのである。
貸し出しが非生産的に利用されているのが事実であるにもかかわらず利息を請求するのは実際の高利貸し行為である。・・・・

もちろん、他のすべてのケースと同じく、正不正の間には広い境界領域があって、線を引くのが非常に難しい。
不確かな境界においては、何事もそうであるように、常識で判断するほかない。
生産的な目的か、慈善的ないし贅沢な目的か、あるいはどうみても非生産的な目的か、など、貸借が生産的か否かは其々の詳細にあたればわかる。・・・


高利貸しの本質は、現実には存在しない富の増加分や余剰分を請求することにある。実際に困窮者の主要な富を減少させて、貸し手がそれを自分の利益として食い尽すのである。したがって、高利貸しが制止されずにまかり通れば、私有財産はみんな少数の金融ブローカーに吸い取られて終焉する。

高利貸しの本質は非常に理解し易い。それが道徳的に悪であること、社会に害を及ぼすことは明白であるにもかかわらず、近代世界は久しくそのことをすっかり忘れていた。そしていま、世界が忘れっぽいとはいえ、再びそこに注目せざるを得なくなっている。何故そうなったのか?
筆者はその疑問に答えようと思う。

高利貸しの悪とその本質は、財務処理の巨大化とともに忘れ去られたのである。それは、17世紀半ばから末にかけてヨーロッパで始まった。現在よりも単純な時代には、商取引はオープンで比較的規模が小さく、知人同士の間で行われていた。したがって、借入の必要性が生産的な目的かどうかについて、プライベートな生活の中でごく普通に告知することができた。そして、その立証責任は貸し手に課されていた。
「彼がその金でどうするつもりだったか、それは存じませんでした。おそらく生産的に使うのだろうと想いまして料金を10%付けました。」
金を貸した者がそんなふうに弁解するのは許されない。
裁判所は、そのような弁解を認めなかった。そしてそれは実に正しかった。
むかしのシンプルな環境の下では、判事はこう応えたのである。
「それは君の責任てある。個人的な必要か、あるいは生産的な目的のために使いたいのか、金銭の借入を申し入れるのはどちらかでしかない。生産的な目的として考えていたならば、利益を分け合うには当然それを訊ねたはずではないか。生産的かどうかについて知ろうとしなかった事実は、君には高利貸しの悪はどうでもよく、それに関知しないふりをしてその悪を実行するつもりがあることを証明している。」

むかしの金貸しに対する法的対処は、今日のある種の有毒化学物質に対するそれと同じだった。良し悪しは利用する目的に依るのである。有毒化学物質の販売者は利用目的を訊ねる必要があり、怠れば責任を問われる。
同じく、むかしの法律は、生産的な借入かどうか、貸し手の側で承知する必要があることを明言している。もしその法がなかったならば、高利貸しが一般的になって、少数の金貸しの利益のために国家が食い尽されていただろう。
そして、それは今まさに進行中だ。

取引の規模が大きく複雑になり、人格的な性質を失うにつれて、つまり、大規模な銀行システムや多数株主の大会社が興り、貸出し理由について貸し手に立証責任を負わせるのが困難になったために 
ー どのような目的のために貸し出すのか、ほとんどの貸し手は知ることができないまま、借入によってなにかしら結果を得ようとする何処かの財務部門に貸し出される ー
そこに高利貸しが入り込む機会が生じて、まもなく商取引全般に浸透したのである。

例えば、今日において、ある者が保険会社に投資したとしよう。利率が5%とする。その特定の僅かな投資がまさにどう使われるのか、彼自身知らない、知ることができないし、誰にも分らない。それは保険会社の資金全体のひとまとめに吸収される。それでスチームエンジンや食料倉庫、船舶等々が購入されるならば、それを使用することによって世界の富は増加する。その購入に使われた資金で利益を得るのは全く正当であり、それで害を被る者はいない。しかし、一定部分が非生産的に使われる。最初の投資家はそのことを知らず、その会社の経営者にさえ分らないのである。
「1000ポンド借り入れたい。」客が申し入れてきたとして、現在の環境条件の下では、その金で客が何をしようとしているのか、彼らはそれを知ることができない。客は借用書を提出して借入金を手にする。彼は窮乏しているかもしれないし、借入金を借金の返済にあてるつもりかもしれない。あるいはビジネスをスタートさせるかもしれない。会社はそこまで調べることができない。そしてもちろん、ノーマルな生産的借入として想定し、一般的な利息を設定しなければならない。しかし、借り手のほうは非生産的に使うことができて、実際、しばしばそのように使うし、そのつもりがある。
かくして、大量の非人格的ビジネスによって、高利貸しの存在は避けられない。それは避けようがなく、その実行は、間接的でも距離があるにしても、特定の誰彼のせいにすることができない。しかし、高利貸しは必然的に悲惨な結果を齎す。そして、近代世界は、鋭敏にも、とうとうその影響に気がつきはじめた。
だいたい2000年前に貸し出された数ペンスは、複利計算によれば、今では世界の富を全部合わせた富を超える。このことが、高利貸しが不正であり、恒久的な商業形態ではありえないことを十分証明している。
今日、殆どの取引が非人格的で間接的であるために、高利貸しに対する支払いは、全体として世界が崩壊しかねないほどの重荷になっている。
現実には富が増えていないにもかかわらず、増えたかのごとくに富を取り続ければ、そんな方法は早晩行き詰る。それは、実を結ばなくなった果樹園に毎年林檎百ブシェル請求するようなものだ、枯れつきた泉に毎日水供給を求めるようなことだ。林檎を支払わなければならぬ者は、そうするために最善を尽くすほかない、しかし、そのツケが世界中の果樹園に回されるまで、林檎生産が5000万ブッシェルしかないにもかかわらず高利貸しが年間1億請求するような事態になるまでには、ジャム(jam 苦境)になるだろう。利子は間に合わなくなり、利子を集める機構は稼働しなくなる。もちろん、本当に稼働が止まるずっとまえに、人々が利益を得るのが次第に難しくなり、営利本位の世界全般でトラブルが増大する。




註 原著作の初版は1924年です。

























































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タグ : 高利貸し 経済危機 複利

国公債を引き受ける金融機関はまさに高利貸しではないか

前回と同じ著作からの抜粋(私訳)です。

これからとりあげるのは「高利貸し」の問題である。これについては、ほとんどの現代人がすっかり忘れており、筆者の知るかぎりでは、他にはどの経済書でもとりあげていない。しかし、その決定的な重要性は、全歴史を通じてつい最近までよく認識されていた。そして、この問題はすでに、現代人が好むと好まざるとに関わらず注目せざるをえぬほどさし迫っている。近い将来、広く議論の対象になるはずだから、早めに理解しておいた方がよいだろう。

人間社会について何かしら知ることのできる大昔から、すべての法規範とともにモラルに関するすべての著作が、高利貸しを悪として公然と非難している。 

では、高利貸しとは何なのか、何故それは有害なのか?
現代人は、この極めて重要な問題を忘れて、高利貸しとは「高い利息を課す貸金」としてルーズにこの言葉を使用している。それがまさに混濁した思考であることをこれからお知らせしようと思う。
高利貸しの特性は、貸金の利息の高低とは関係なく、まったく別のことに関係している。
高利貸しとは、非生産的な借入に利息を課して徴収する貸付である。


「そちらの所有するこの資本(たとえば船と、航海中に船員の食料を保存するための貯蔵庫など)を貸していただきたい。」 ある者が君にそう申し入れたとしよう。
「この資本を使用して余剰な物品を海外に輸送し、外国から必要な物品を積載して戻りますと、少なくとも小麦百トン分の利益を得られます。航海には往復一年ほどかかります。」
 君は当然こう応えるだろう。「あなたが私の船と食料貯蔵庫を使用して小麦百トン分の利益を得るのは大変けっこうなことです。しかし、私共のこともお考えください。あなたは御苦労相応の利益を得て然るべきですが、私共もいくばくかの利益を得て然るべきでしょう。船と貯蔵庫は私のものであって(あなたにはそれがない)、私がお貸ししないかぎりは、取引による利益は発生しないのですから、利益は半々にいたしましょう。全利益百トン分のうち50トン分は私共がいただきます。」

君に船の借り入れを申し入れた者が同意すると契約が成立する。そして、君はその資本によって一年後には小麦50トン分の利益を得られる。
これは、生産的な貸し出しによる利益である。
このような取引は道徳的に悪いところは何もない、何人にも害を及ぼさない。国家や社会を衰弱させることはないし、個人に損害を与えることもない。そこにあるのは、生産にみあった賢明な取引に相応の純粋な儲けである。資本の所有者、それを借り入れる者、外国との取引によって利益を得る社会、みんなが恩恵を得るのである。

君の船と食料貯蔵庫の価値が小麦百トン分とすれば、50トンの利益は利率50パーセント、これはいかにも非常な高率とはいえ、君の要求は正当である。君の資本は本当にそれだけの富の増加を齎すのである。その資本の価値が十倍であったならば、君の利益は50パーセントではなく5パーセントになるとはいえ、道徳的に50パーセントの利益は5パーセントの利益と同程度に正当である。誰にも君を非難できないし、何も害はない。

男が、船の借入ではなく、船を購入するための全資金をたまたま資力のある君に申し入れてきたとしても、取引に変わりはない。それは生産的な貸付である。彼は本当の利益を齎すのであり、共同体の富は本当に増大するのである。君と彼には利益から配当を得る権利がある。君は資本の所有者であり、彼はその遠征を監督する労を担ったのだから。

以上は、生産的な貸し出しの例である。

それでは、君がパン屋であったとして、ある男が君にこう言ったとしよう。
「食パンを半ダース貸してくれませんか。私の家族はいま食べる物が何にもなくて、この一両日は稼ぐ手段がみつからないのです。しかし、稼ぎはじめましたならば、食パン半ダース分あなたの損にならないようにいたします。」
そこで、君がこう応えたとする。
「そんな条件では食パン半ダースお貸しするわけにいきません。よろしければ一カ月間お貸しいたしますが、一カ月後には7ダース返していただきます。」

これこそが高利貸しである。

男の借入は生産的ではなく、パンはすぐに消費される。
この活動によって富が増加することはない。世界も君も、一般社会も、それでより豊かになるわけではない。この取引を通じて富が齎されるとはとうてい思えない。君は、何にもないところにパンを請求しているのである。それは、共同体の富から引き出されるよりほかない。このケースでは、増加した富や余剰ないし新しい富ではなく、パンを借りた男の富から、ということになる。これが、Usury(高利貸し)が「Usury」と呼ばれる所以だ。それは、「すり減らすこと」「次第に荒廃させること」を意味する。

もし世界中が高利貸しを実行して、高利貸しばかりになったならばー
富が生産的に貸し出されるのではなく、非生産的に費消される貸し出しばかりで、しかもその非生産的な取引で利息が要求され続けるならば―
貸し出される富が共同体の他の富を食い尽して、終には取れる物は何もなくなる。貸し手以外はみんな破滅する。
吸い取る側も血がなくなれば死滅するほかなくて、社会はそれで終わる

次回へつづく

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タグ : 国債 公債 高利貸し

日本国債はデフォルトするか?

前回と同じ著作からの引用です。

「国債については、国内からの借り入れと国外からの借り入れを明確に区別する必要がある。
国内からの借り入れは自国民からの借金である。これには、利子を支払って一部の市民を富裕にするかわりに、課税によって他の市民を貧しくする含みがある。
しかし、国全体としては貧しくなるわけではない。

国外からの借り入れは外国人からの借金である。利子分は国にとって完全なロスになり、通貨の価値を下げて支払うわけにはいかない。
政府は、自国民に対してはウソのお金を支払って誤魔化すことができるが、外国の貸し手に対しては本当の金で支払わなければならない。
国外からの借金はリアルなのである。」

ご存知のように、日本の輸出超過によってたまったドルで購入される米国債は、その利子分とともに「外為特会」として財務省の管理下にあります。これは「ドル安」によって一説に40〜 50兆円もの含み損をかかえているといわれます。こういう外貨準備金の運用の失敗については、この際問わないとして、すくなくとも、買いためた米国債を担保に日銀から融資を受ければ、財政の不足分を補えるはずですが、何故財務省がそのように具申しないかというと、そんなことをしては、国や国民のためにはなっても、日銀や財務省の利益にならないからでしょうか。

それで、税収が足りないと言って国債を発行しますが、国外から借金してデフォルトすれば、自分たちの権益とプライドを維持できないので、殆どを国内で消化させます
国内からの借金であるかぎりは、どんなに無駄遣いしても、デタラメをやっても、責任を問われることなく、ほぼ自由にコントロールできるシステムです。政府の愚策と低脳、怠慢、放縦、強欲等々によるツケは、すべて従順な国民に回せばすみますから、デフォルトする可能性は極めて低いのです。


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輸出超過は国にとって損失である

「国際取引において、国富を増大させるのは輸入以外の何ものでもない。
モノを国外に出すのは損失であり、国内に入れるのは利益である。このことは、とくにイギリスのような島国の場合、まことに分かりやすい。
ところが、この実にシンプルな命題についていまだに混乱がある。
理由は、個々の業者が自分の取引を個人の商売として考えて、取引の本質を国全体のこととして考えないからである。
例えば、ある業者が機関車を製造して輸出し、一輌につき10000ポンドの支払いを受けたとする。これは、実際にはその業者ないし他のイギリス人が早晩10000ポンドに相当する外国製品を請求することを意味する。
しかし、通常、業者はそんなことは考えない、自分の取引のことしか考えていない。
機関車を海外に出すのは、それに対して想定される輸入は別として、それ自体では国にとって10000ポンド相当の富の損失になる、そう知らされたなら、業者はさぞかし驚くだろう。
輸出が減るのはその国にとって悪いこと、輸入が増えるのも悪いこと、であるかのような政治的議論をしばしば耳にするが、早晩それはそうではありえない。
輸出に対して輸入超過は、外国との取引全体としては国にとって利益である。
輸入以上に輸出する国は国外の外国人に捧げ物をしているのである。いつも輸出以上に輸入している国は捧げ物を受けているのである。」


経済のことが苦手で、少しマジメに勉強しようと思い立ちました。それで、もちろん日本のメディアとかアカデミズムとか出版書のたぐいはあまり信用できないので、かなり昔(私が生まれるずっと前)に英国で初版されたやさしい経済の本を読みはじめました。この著作、いまでもアメリカでは教科書として使用している大学もあるようですが、日本の一般教養レベルの「経済学」とは少々趣が異なります。それでちょっと気にとまったのが上記に引用した部分(私訳)です。その趣旨は、人によっては当たり前のことでしょう。けれども、日本のマスメディアでは、いまだに、貿易黒字が良くて貿易赤字は悪いことであるかのような論調が大半です。それが米国か財務省辺りの意を汲むウソなのかプロパガンダなのか、それとも、ほんとうにこの当たり前のことがわかっていないのか、何だか分かりませんが、とにかく、その論調を真に受けている向きがまだ大勢のようです。
 






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日本というシステムの末路

「コピー機械は、ふつうに正確にコピーするだけではない。一見オリジナルよりも厳密な複製を生み出すことがある。
さて、人間の歴史における二大コピイストはプロシア人と日本人である。
彼らの成功は全き成功ではない。その主張は、単なる軍国主義、あるいは帝国主義、産業主義の主張ではない、剽窃による主張である。
(ドイツとは別に)プロシアは、当時のフランス陸軍とイギリスの海軍と(そしておそらくは現在の)イタリアのファシズムで人工的に彩色された時は、まさに灰色で色味がなかった。
日本のほうには、古き東洋の色彩を帯びた美しい背景があったから、宣伝と実利主義の卑俗な絵の全体にその色味をさっと散らしたならば、それなりの面目と不面目がある。
しかし、どちらも模倣の天才であり、工業とその細部にいたるまで、ある種の鈍感さと反抗精神の欠如までもそっくりだ。機械論者や宿命論の信者にはそれが好ましいのである。
それでどうしてやっていけるのかって? そんなの知るか!!!」 by GKチェスタトン GK'SWEEKLY記事より

チェスタトンは、この記事を執筆した当時(1934年頃)すでに日本の運命を予見していたようです。
実利ばかり追求して、正義も信念も、ビジョンさえもなくて、人間の知性や精神性に欠けた「日本というシステム」。利権の拡大と保身、前例踏襲と模倣にしか頭が働かなくて、狂気じみたプライドに憑かれている霞が関とその周辺、中身が空っぽだから嘘とこけおどしで粉飾して宣伝される。
この明治以来の欠陥、すべての元凶、切実に正す(壊す?)必要があるのでは・・・

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自尊心とプライド 

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利権、プライド、破綻回避、飢餓

「近代の資本主義が、そのサイクルを完成させた時には、これまでは、それが人々を土地から切り離す手段であったように、結局、近代資本主義は、ただ単純に人々から食料を切り離す手段であることが明らかになってくるのではないか。
それで達成されるのは、主に飽食と飢餓というとんでもない不自然をつくり出す効果であろう。
順調な時には、食料は一定の機構によって遠くから運ばれてくるが、悪い時には機構が壊れて、食料はまったく運ばれてこない。これは、単純非情なケモノの論理からすれば、少なくとも中世の荘園では起りえなかった悲劇が現代に起り得ることを意味する。荘園の領主を困らせた農奴は縛り首になったかもしれないが、ただ必要ないからという理由で農奴が餓死させられることはなかった。むろん領主にとっては農奴は必要であり、当時はそれ以外に土から食物を得る手段がなかったからだ。・・・

中世のシステムの悪とか、現代のシステムの効率とか、そんな決まりきった仮定で議論を進めるのではなにもならない。私達は現代のシステムの悪を知らないばかりか、その営利本位の繁栄がどれほど窮乏を生じさせるか、それがわかっていない。わかっているのは、それが人から食料を遠く隔てる初のシステムであるということだけだ。
こういう巨大な崩壊をふつうの意味の飢餓や欠乏と同列に考えるのでは意味がない。
輸送伝達手段によって世界がこれほど密接に繋がったことは過去に例がなく、そこでは、予測し難い脅威、過剰生産やシステムの矛盾がありうる。
私たちは、食べ物が必要ないからそれを破壊しようとしている。人間が必要ないからそれを餓死させようとしている。そんな狂気を回避するためなら、中世の奴隷制にもどるくらいは当然だし、いっそ、ボルシェビズムの奴隷制でもかまわない、ということになるのである。」by GKC GK'S WEEKLY記事より
 

私たちは既に「飽食」を経験しました。途上国の飢餓を知らされています。今度は私たち自身が飢餓を経験するかもしれません。
このことは「食料安保」とか「TPP」参加云々とは別問題です。すでに日本の農業は、農政とフクシマによって危機に瀕しています。日本の農業を危機に陥れた力の大半は、「日本の農業を守ろう」などと言って「TPP」参加に反対する勢力でもあります。
このややこしさを解かなければ私たちの将来は相当に危ういのでは・・・
彼らは、「大東亜戦争」で何百万もの犠牲を強いた勢力と同類です。自分たちの権益とプライドのために国民を犠牲にするくらい朝飯前だし、子供が飢えたって「デフォルト」を回避するでしょう。相対的には「円」に対する信用度が高いのはこのゆえでしょうか?



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「就活」と「隷従への道」

「資本主義体制の契約社会では、雇用する側もされる側も、それぞれが不安な危機に直面した。雇用する側はストライキを恐れ、雇用される労働者は失業を恐れる。
そこで、労働者は雇用主のために働き、雇用主は労働者の生活をまるごと支える、ということで両者の合意が成立する。こうしてうわべの平穏と安心が得られる。
これは、雇われる労働者にとっては最終的な合意であり、もはや首切りやストライキの恐れはなくなる。
この和解はまことにけっこうな社会改革のようだが、しかし隷属的和解である。実質的に、古代の奴隷制度が復活することになる。雇用される者が、自由な契約ではなく、固定した身分にともなう労働に縛られるからである。」 byGK チェスタトンILN記事より私訳

各種社会保険制度、「新卒一括採用」、「終身雇用」、「年功賃金」、「福利厚生」その他日本独特の雇用慣行は(半)奴隷制の一環かと思われます。
露骨に労働を強制する条文がないとはいえ、それは純法律的な側面でしかなくて、実際には、多くの勤労者が、法体系と社会システムによって生活費を得るための余儀なき労働を強いられています。そして、生涯の大事については、自分の意志で決断されることなく社会政策の型にはめられて、その身分は法律と慣習によって護られています。
労働の対価として「賃金」や「報酬」が支払われるのではなく、生活費として「給与」や「手当」を支給される事実がその実質を象徴しています。
また、臆面もなく「親方日の丸」とか「寄らば大樹の陰」「長いものに巻かれろ」などと謂われたのはそのservile spiritの表れでした。
そのような(半)奴隷労働とservile spiritによってこの国の性格が決まっています。


ー 何か不自然な破局がわれわれを脅かすのではない。奴隷化の進行はあまりにも自然だから、気づかぬうちにそこに引き込まれるー by GKC ILN記事より私訳

ハイエクはこのことに着想を得て「THE ROAD TO SERFDOM」を著したといわれます。


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タグ : チェスタトン 隷従への道 社会保険 終身雇用 年功賃金 親方日の丸 寄らば大樹 長いものに巻かれろ ハイエク

正しい国家権力

 「人間の自由、そして市民の経済的独立を図るときの国家活動と、その独立を奪い去るときの国家活動とは、正反対の別物である。
かつて、強力な君主国家と十分にゆきわたった私有財産とが調和していた時代には、臣民の独立が保たれていた。
つまり、君主は巨大所有者の横暴に対して小財産所有者の自由を防衛するために存在した。それが君主政治の主要な機能であった。
君主を自由の調停者、守護者としてとらえるこの正しい国家観は、君主政治を偏に専制独裁の手段としてとらえる誤った観方とは正反対である。
経済的自由の追求は、権力を強奪しかねない資本主義”ビッグビジネス”の力を可能なかぎり破壊するために、それに対比されるべきこの正しい国家権力を考えにいれなければ進められない。」 by UNKNOWN(二十世紀前半英国人)

以前のエントリ「収奪と搾取のはじまり」に述べましたように、近代日本の国家権力は、資本主義化を国策として、まずはじめに、民衆の生産手段と経済的独立を奪いさるために機能しました。そもそものスタートから、一般国民から収奪するための不正な権力機構だったわけです。それは日本の近現代史によって明らかです。
そして、そういう国策資本主義ないしは官制資本主義のような日本では、「巨大所有者」ないし「ビッグビジネス」とはもちろん、「税」と称して国民から強制的に集められる巨額の資金と「特別会計」と称する各省庁事業による莫大な収益、そして国債による借金、等々を意のまま思いのままに、独占的事業等を進め、あるいは特定事業を保護したり、補助したりする強大な権力組織、ということになります。
政治権力と巨大経済支配とを一手にして、しかも、「社会主義」のような理想も理念もなく、信念も正義も道徳もないために歯止めがきかない、そういう殆ど痴呆か狂気のような権力機構、その暴走を日本人は目の当りにして、それに引っ張られているわけです。そして、唯一それをチェックできるのは米国、という情けない現状については云うまでもありません。。 
日本が正しい国家権力を確立して「独立」と「自由」と「民主」を実現するためには、まずなによりもこの異常に強大でしかもある意味でひ弱な権力システム、これを一からつくり変えるよりほかないのでは・・・

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